2020-06-06
自分の経歴についてちょっと書いてみる(高校~警察学校入校まで)
この記事で紹介していること
私の経歴
ブログのタイトルにあるように、私はもともと警察官です。
警察官から、どのようにフリーランスになったのかを書いてみたいと思います。
転職やフリーランスを目指す方、これから就職をしようという方の参考にと思う観点で書いています。
高校時代
もともとファミコン、スーパーファミコンに魅了され続けた幼少期~中学生、いずれ自分でゲームを作る人になりたいという気持ちがあり、地元でコンピュータ関連活動に強い埼玉県立深谷商業高校に入学しました。
同校ではもちろん、情報処理科、コンピュータ部に属しましたが、学ぶことは主に情報処理技術者試験取得を目的としたものでした。
当時使っているコンピュータもNECの「ACOS」という汎用機で、COBOLを主に学んでいました。
とてもゲームを作るという感覚ではなかったため、独学で Visual Basic でゲームを作るなどに時間を使っていました。
大学進学は考えておらず、専門学校にいって、ゲーム制作を学びたいと思っていました。
進路に対する親の思い
ゲーム制作を仕事にしようとする私。
しかし、親からの反対を受けます。
父親は埼玉県職員でしたので、公務員を推していました。
進路決定時についても、まずは公務員試験を受けて、ダメなら専門学校でもいいという意見だったので、
- 国家公務員
- 地方公務員
- 警視庁警察官
- 埼玉県警察官
の4試験を受けるようにと、願書をそろえてきました。
私はしぶしぶですが、受けることにします。
どうせ受けるなら、自分の学力が通用するのかを知りたかったので、できる限りの過去問対策などをして受験。
埼玉県警察だけ合格
どうせ受かったならやってみよう、となるわけです。
当時は就職氷河期、これを逃したら無職になってしまうかもしれません。
父も公務員、兄も公務員、そんな中これを蹴る勇気は私にはありませんでした。
警察官なんて考えてなかったけど、受かったならやってみるか
まぁこうなりますよね。
私もお金もらいながら何かを学んで、自分で決められるようになったら、転職すればいいやくらいの気持ちで警察官になる決意をしたのでした。
少し調べると、当時もサイバー犯罪に関する情報がネットや草の根ネットで見聞きしていたので、そちらの仕事も面白そうだと思ってはいました。
警察学校は自分を律する生活、思ったより自分はそれを楽しめた
規則、ルール、監視に縛られた寮生活。
時間もきっかり決められ、自室の整理整頓から学習態度に至るまで、監視、評価される生活です。
そんな息も詰まるような生活ですが、私にとっては、「人に良く思われたい。評価されたい。」という気持ちが立ち、モチベーションを維持していました。
人の失敗を見聞きし、自分の生活にコミットしていく毎日は、自分の成長を実感することにつながっていました。
自分の失敗を人のエサにしたくないという気持ちもあり、どうすれば失敗しないのかを考える毎日でしたが、同時に失敗しないと成長できないとも思い、「これはダメだろう?」「これはギリ行けるか?」ということを詮索する毎日でした。
時には「お前ナメてんのか?」と言われることもありましたが、そうやって自分の価値観を社会に適応させていく作業を続けることは、私の楽しみになっていきました。
やめたいと思ったことは何度もありましたが、そのたびに警察官になった私を心から喜んでくれた親の顔、幼少期からお世話になったご近所のおばさんや、中学校時代の恩師の顔が浮かび、私を現実に引き戻しました。
あるいはそうやることが、社会に適応することなのだと、妄信していたのかもしれません。
こうして警察官(見習い)になりました
こうして私の警察学校生活が始まりました。
本当に続けていけるのか不安しかありませんでした。
なにせとにかく制約が多すぎます。
普通の大人ができる「楽しみ」がほぼできません。
詳しくは次回・・・・